つたわらないもの1999年08月12日 06時10分

 言葉で伝えられるものなど、ほんのわずかなんだね。

 どのように言葉をつくしても、伝わらないことがいくらでもある。言葉にしても、使い使われる環境や人で、定義や用法が違っているから、なおさら誤解だらけの意思しか伝わらない。なんとももどかしい。

 もどかしくても、人間同志の交流に言葉の占める割合が大きいのも確かで、ましてや、書き言葉だけの世界では、半分も伝わればいいほうだろう。

 言葉は、人格をもっている。そして、言葉での議論には、人格攻撃という罠に陥りやすい。そこにはまりこんだら、あとは傷つけ合うだけの不毛が残り、初めにあった目的など、どこかへいってしまって、残されるものは、相手への非難と自己弁護だけという寂しい結果がまっている。

 それでも、人は言葉を使う。相手を認めるというのは、理解することではない。理解できたと思うことが誤解をうむからだ。理解はできないが、そういう言葉を発する存在があるということ、そして、己だって、相手から同じように思われているということを理解できれば、共生は可能だろう。意見が違うからといって、相手をへこましても、それで何が解決できるのだろうか。

 言葉は空しい。理解されたいなら、行動するしかないだろうが、そもそも理解して欲しいと思う心とは、いったいなんだろうか。誠意ある行動を示せば、相手も分かってくれてかわるだろうと思うのは、己が正しいと思っているからだろうか。そうであれば、なんと傲慢なことか。お前の正しさを決めるのは、いったい誰なんだ。もう一度考え直してみたい。

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