虫も殺さぬ。。。2000年08月31日 18時15分

 テレビで、生物学者の先生が、奇妙な事を言っていました。「虫の研究を通して、命の大切さを知った。」 そういう、先生の手許には、虫の標本(=つまり、採取し、殺した生命のコレクション)が誇らし気にあった。

 先生は、虫を沢山殺して、彼等から、DNAを抽出し、分析したそうだ。そうして得た結論は、虫も人間もDNAでは、同じところが沢山あって、だから、彼等も人間も、地球生命の歴史を背負って、現在まで生き残った者なんだから、貴重で大切にしなければいけないと。莫迦いってるんじゃないよ。それほど沢山の命を奪わなければ、判らなかったのか。それが、先生の限界であり、そこに、生命軽視の根本があると思いました。

 研究で、殺しをやっていいなら、生命に区別は無いという先生の意見に従えば、人間だって、実験で殺して分析したっていいんだよね。

 判ったような気持ちになって、えらそうなことを言わない方が言い。まっとうな人間なら、虫は殺せない。生命は尊重しなければいけない、、なんてことは、それこそ、DNAに刷り込まれた情報で、もしも、それを持たない生命がいたら、とっくに地球上から、生命はいなくなってしまっていただろう。 己以外を認めないなら、己が滅んでしまった場合、それで、生命が絶滅するからだ。だから、DNAは、必要以外の殺戮を刷り込んではいない。食料にするにしても、最低限の殺戮ですましている。でないと、食料になる生命まで無くなってしまうからだ。生まれながらに生命は、そう刷り込まれている。人間も例外では無い。

 そうして、この世界は、DNAの多種多様の変型子孫を増やしてきたんだろう。これこそが、DNA型生命の生き残り戦略だったんだから。それは、われら人類にも当然備わっているわけで、研究しなければ、そのことに気がつかなかったなどというのは、狂人の戯れ言より酷い、傲慢な発想だろうね。人間だけが偉いなんて教え込まれるのは、啓典の教えに従う人々や、彼等に反発したヒューマニストたちだ。

 先生、貴方は、生命研究の為に、自分を殺してもらえますか?

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