人の命は、重い?2000年08月23日 14時31分

 まあ、マスコミも『どじょう探し』が、大好きで、このところ、少年犯罪がらみのニュースが多いですね。別に少年犯罪が史上最悪でもないのだけど、相変わらずのステレオと無知だから、仕方ないのかな。

 子どもが人を殺しまくっている。。。そんな風にも見える。けれども、実態はそうじないのは、統計でも出ているね。戦国時代は、数え15歳で、元服して、合戦にでては、人を殺していたんだから、二十歳で成人なんて法律を改訂して、15歳で成人にすれば、少年による殺人犯罪は、激減するだろうね。ようは、統計の取り方と、いくつをもって、少年として保護するかという問題だろうか。

 昔も今も、精神をやんでいなくても、人は人を殺してきたね。たまたま、少年が殺せば、騒ぐけど、なぜなんだろうか。少年一般は、殺人などおかさないという宗教でも信じているのだろうか。曰く、無垢な少年。。。そんなものは、存在しないだろうに。思春期に殺意をいだくのが、少年なんであり、人を殺さなくても、動物虐待とか、自殺とかしたくなる年頃なんだね。

 人を殺すと、問題にする。人の命は、なによりも大切なんだという教育ができていないとかいう。人の命って、そんなに大切なんだろうか。大切な命だからこそ、死を賭けてなんて言葉があるんだろうけど、それは、自分の命が大事であるからで、他人の命は別なんだろうね。革命なんぞでは、平気で反対者を殺すんだからね。

 切れた少年は、精々、周りの人間達を殺すけど、組織ってのは、もっと酷いね。どこぞの自動車会社なんぞは、あれは殺人の確信犯じゃないかと思うけど、彼等には、他人の命なんて、軽いのだろうね。雪印もそうだったね。彼等は、頭をさげて終わりだろうが、それで済むのなら、少年だって、すませんでしたで、済むだろうに、そうはいかない。

 根っこは、別の所にあるんだよね。犯罪者だって、どこぞの人間から生まれてきたわけで、その後の教育が、そうした人間を作ってしまうのだろうか。そうだとしたら、少年の責任は親がとらなければならないだろう。産み育てた、親を罰してもらいたい。保護者責任を明確にしないから、少年は、つけあがるんだよ。親だって、子どもの殺人の責任で、刑務所に入れられるとしたら、もっと、真剣に、しつけるだろう。それが出来ないなら、子どもを作る権利はない。

虫も殺さぬ。。。2000年08月31日 18時15分

 テレビで、生物学者の先生が、奇妙な事を言っていました。「虫の研究を通して、命の大切さを知った。」 そういう、先生の手許には、虫の標本(=つまり、採取し、殺した生命のコレクション)が誇らし気にあった。

 先生は、虫を沢山殺して、彼等から、DNAを抽出し、分析したそうだ。そうして得た結論は、虫も人間もDNAでは、同じところが沢山あって、だから、彼等も人間も、地球生命の歴史を背負って、現在まで生き残った者なんだから、貴重で大切にしなければいけないと。莫迦いってるんじゃないよ。それほど沢山の命を奪わなければ、判らなかったのか。それが、先生の限界であり、そこに、生命軽視の根本があると思いました。

 研究で、殺しをやっていいなら、生命に区別は無いという先生の意見に従えば、人間だって、実験で殺して分析したっていいんだよね。

 判ったような気持ちになって、えらそうなことを言わない方が言い。まっとうな人間なら、虫は殺せない。生命は尊重しなければいけない、、なんてことは、それこそ、DNAに刷り込まれた情報で、もしも、それを持たない生命がいたら、とっくに地球上から、生命はいなくなってしまっていただろう。 己以外を認めないなら、己が滅んでしまった場合、それで、生命が絶滅するからだ。だから、DNAは、必要以外の殺戮を刷り込んではいない。食料にするにしても、最低限の殺戮ですましている。でないと、食料になる生命まで無くなってしまうからだ。生まれながらに生命は、そう刷り込まれている。人間も例外では無い。

 そうして、この世界は、DNAの多種多様の変型子孫を増やしてきたんだろう。これこそが、DNA型生命の生き残り戦略だったんだから。それは、われら人類にも当然備わっているわけで、研究しなければ、そのことに気がつかなかったなどというのは、狂人の戯れ言より酷い、傲慢な発想だろうね。人間だけが偉いなんて教え込まれるのは、啓典の教えに従う人々や、彼等に反発したヒューマニストたちだ。

 先生、貴方は、生命研究の為に、自分を殺してもらえますか?