狩人になりたい(友へのメールから)1999年07月12日 23時46分

>釣りでもしながら、余生を過ごすか・・・・・・・。

 父が、そうでした。父には余生が長かった。「仕事で燃え尽きた」そんな感じでした。手ごたえを感じられなくなった時、人は狩人になるのでしょうか。

 急いで生きてきた人間は、のんびり生きてきた者よりも時間の経過が早い。つまり、早く老成するわけです。人生の黄昏れを感じてしまう。かといって、やりなおせるだけの、体力がすでに失せている。人間50年だったほうが幸せだったかもしれない。長生きしたいというのは、生きていて幸せだからでしょう。幸せの本質に気がつけば、長生きするだけが最善ではないと気がつく。

 DNAから逃れられない運命であるなら、むしろ早い世代交代のほうが望ましいわけで、長生きはむしろ邪魔であろう。ではなぜ寿命がのびているのであろうか。それは、DNAが次世代に十分な栄養を与えたいために、親世代を酷使したいがためである。そして、そういう種族は一般に食物連鎖の頂点にいるし、個体数も少ないものである。例外が人類だ。人類の祖先は矮小な鼠だった。だから、鼠の飢餓感と繁殖能力を受け継いでいる。慢性的な空腹感、24時間襲ってくる性欲。これらはみな鼠の性質であろう。ではなぜ、人類がライオンのように食物連鎖の頂点に達しえたのか。そもそもそのような種族が頂点に達してしまえば、生命世界全体のバランスが失われてしまい、結果として人類の覇権は成立しなかったはずである。

「神に選ばれし人」という言葉がある。鼠の性質をもたない猫族のような性格をもった人々がいるのである。実は彼等の存在が頂点に立っているだけであり、それはほんのひとにぎりの種族にすぎない。あとの人類は、ただ生物学的に同族という点に於いてのみ、人間としてあつかわれている。階級が存在してあたりまえなんですね。そこに気がつけば、人類の大分部分は彼等『真の人間』に家畜化されているだけであろう。この家畜からの解放こそが、自由だろうと思います。猫族は狩人なんです。ではでは (^^)/〜

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