奪い合い2001年03月04日 10時20分

 海苔がとれないと怒りの漁民達。水門は簡単には開けられないと政府。悪者はどちらかなどと言う議論は、なんだか次元の低いものに思えてしまいます。

 水門を作った目的は、流域住民を水害から守るものであったし、干拓によって領土を増やすことでした。利用価値の高い平地が少ない日本では、干拓や埋め立てで、領土を増やしてきた歴史があります。その延長で、現在でも領地を減らしてまで地球環境を守れというなら、いっそ、日本国という公害の大発生源そのものを地球上から抹消してしまえばいいという極論までいきつくことでしょう。

 農業は、天然に対する最大の破壊行為です。他方、漁業は、天然の生き物達と同じ食料捕獲の手段です。ですが、海苔に関しては、事情が違うのです。天然に生きている状態の海苔は他の植物との生存競争が弱く、天然にまかせていたのでは、とても人間が食べる量など獲得できないのです。そこで、養殖という人工的方法がとられています。栽培漁業などと言われていますね。栽培というからには、漁業というより農業であって、そうであれば、本来、天然では、海苔に勝っていた他の植物達の生存権を奪っているわけです。

 つまり、海苔養殖漁民達も農水省の干拓担当者達も、『天然破壊』ということでは同次元なんですね。人類が文明をもって、ここまで発展できたのも、全て天然破壊をしてきた結果なんです。いまさら、一部の破壊をやめたところで、問題の解決にはならないでしょう。天然側から見れば、人類の経済活動は、全て悪行でしょうね。天然そのものが弱ってしまっては、もともこもないと最近わかってきた人類の一部は、『自然』環境を守れなどと叫びはじめ、実行も始めています。しかし、彼等は決して『天然』を守れとは言わないのです。それを持ち出したら、極論がまっているからです。

 自然とは、人類の経済活動を認めた上での、天然側との資源をめぐる奪い合いの妥当な線という意味でしょうね。そうであれば、おれたちを殺す気かという漁民の怒りは、『自然』に対する権利擁護の発言であって、決して天然側の味方ではないのです。彼等がのたれ死んで、海苔栽培がなくなれば、喜ぶのは干拓によって増えた栄養をもらえるプランクトンだからです。日本政府は、プランクトンの味方だから、天然側にとっては善なんでしょうね。

 さあ、どんどん、自然を破壊して、人類を滅亡させ、この地球を天然に返そうではありませんか、、、と日本の政府は決意したのしょう。おお、なんと自己犠牲のある崇高な精神でしょう。