Macの拡大を阻害しているもの。それは皮肉にもMac信奉者だ。1999年02月28日 02時46分

 iMacを使いはじめてから半年が経った。始めて本格的にMacintoshなる機械を使ってみて、その利便性よりも、まわりの雑音が煩わしくなった。熱狂的なファン。それはそれでいいだろう。ただし、己の好みを他者に押し付けるがごときの意見をきく機会が増えたのも事実だ。

 面白いことだ。これほどまでに人を虜にする機械とは、いったいなんだろう。答えは人それぞれで違うだろう。あるものはAppleという会社が好きだけど、アップルジャパンは嫌いと言う。暫定最高責任者に共鳴というより、心酔している信者がごとき人もいる。

 なにがなんでもMacじゃなきゃいやだという人がいる。それはそれで結構だが、いまさらのiMacユーザーを新参者扱いし、昔の苦労を自慢する。それが一体、なにになるというのだろう。これも意見であるから、賛否はあろう。だが、己の長いMacintosh生活といってもいいだろう人々の中には、ある特定のメーカーとその機械および、その最高責任者を非難するあまり、それを使っている人々をも非難する傾向が見受けられると感ずるのは、小生の偏狭なる精神の反映だろうか。

 非難されれば、人は反発するもので、ますますMacintosh世界というものが嫌いになっていく。その結果、利用者の増大はのぞめなくなるだろう。声を大にして、Macのここがすばらしいと力説したり、よその機械を批判せずとも、よい仕掛けというものは、おのずと市場に認知されていくものだろう。カラフルで小粋なiMacの登場で、Mac信奉者ではないMacユーザーが増えていく現状を、苦々しく思っている古参Mac使いもいるだろう。

 隣の国の元指導者がいみじくもいった「黒い猫だろうと、白い猫だろうと、鼠をとる猫がいい猫だ」という言葉を、噛みしめたいものである。