手段の目的化 ― 1999年09月11日 01時11分
神奈川県警幹部の「かくしごと」で、あいも変わらずの官僚の体質が露呈している。
彼等は、いわゆるキャリアーである。エリートともいわれた。最高学府を出た秀才だそうだ。彼等の目的とはなんだったのだろう。この国を経綸したかったのか。それとも単なる権力指向だったのか。それも今となっては、幻である。
いつの頃から、官僚が官僚組織を防衛しだしたのであろうか。組織を守るのは、そもそも、その組織を利用して、目的を達成することにあったはずだ。では、現在の彼等の目的とはなんだろうか。官僚組織は国家目的を遂行するための実行組織であったはずだ。それが、どうだろうか。
組織を守り、そこからあがるであろう利益を追求するのみのマフィアかシンジケートと化している。そこには哲学がない。それは寄生虫とかわらない。かつて、そのような組織が我が国にも存在した。帝国陸海軍である。結果はどうなったか。みじめな敗戦がまっているだけだ。
彼等のようなエリートを生む土壌は勿論教育にある。そして今、教育改革が叫ばれている。が、しかし、その目的は、あいもかわらない経済科学技術のためのエリート養成なのだ。哲学なき教育が国家世界に与える悪は、その毒素が回るのに時間がかかるだけに、取り返しがつかない。すでに取り返しのつかない所までいっているのだろうか。まにあったとして、明治維新のような改革をなすべき人材、人物が残っているのだろうか。
渋谷の街を徘徊する若者と白虎隊の若者との落差に絶望を感じてしまう。
彼等は、いわゆるキャリアーである。エリートともいわれた。最高学府を出た秀才だそうだ。彼等の目的とはなんだったのだろう。この国を経綸したかったのか。それとも単なる権力指向だったのか。それも今となっては、幻である。
いつの頃から、官僚が官僚組織を防衛しだしたのであろうか。組織を守るのは、そもそも、その組織を利用して、目的を達成することにあったはずだ。では、現在の彼等の目的とはなんだろうか。官僚組織は国家目的を遂行するための実行組織であったはずだ。それが、どうだろうか。
組織を守り、そこからあがるであろう利益を追求するのみのマフィアかシンジケートと化している。そこには哲学がない。それは寄生虫とかわらない。かつて、そのような組織が我が国にも存在した。帝国陸海軍である。結果はどうなったか。みじめな敗戦がまっているだけだ。
彼等のようなエリートを生む土壌は勿論教育にある。そして今、教育改革が叫ばれている。が、しかし、その目的は、あいもかわらない経済科学技術のためのエリート養成なのだ。哲学なき教育が国家世界に与える悪は、その毒素が回るのに時間がかかるだけに、取り返しがつかない。すでに取り返しのつかない所までいっているのだろうか。まにあったとして、明治維新のような改革をなすべき人材、人物が残っているのだろうか。
渋谷の街を徘徊する若者と白虎隊の若者との落差に絶望を感じてしまう。
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