三方一両損2002年03月02日 10時02分

 江戸時代の江戸南町奉行(ぶぎょう)大岡越前守(えちぜんのかみ)にまつわる講談話には色々ありますが、その中に『三方一両損』という話があります。3両という大金を落とした人、拾った人、裁く人がそれぞれ一両ずつ損をして、この民事裁判に決着をつけたという話。越前守は、この話もふくめて『機転』がきいた花も実もある名奉行として伝説になっています。ところがこの話、財政や経済的には「?」なのです。

 問題は奉行が持ち出した1両にあります。彼は争う両者を納得させるたために、「わたしが一両持ち出ししましょう。これで、ここに3+1=4両ある。それを二人で均等すれば、あなたたちもそれぞれ1両損でしょう。この場の当事者がすべて1両を損したんですから、平等です。文句はないでしょう」とまあ、こんな解決だったのです。彼がポケットマネーから拠出したなら、これは公私混同であり、公金からの支出だとしたら、横領でしょうか。

 彼が奉行という現在の都知事職権限で1両を支出したとしたら、この手の裁判では、いったい、この先いくらの出費をしいられるのでしょうか。それくらい分からぬ大岡でもなかったでしょう。この話を作ったのは庶民だというところが重要ですね。ここに日本人の「お上頼み」が見えますし、また公金を使って解決しようとする浅ましさも見えかくれしています。

 政府が唱えている改革は国民に「痛み」を伴うものだと政府自身が公言しています。政府は政府自身にも痛みを伴うとも言っています。社会保険改革などまさにこの『三方一両損』のように見えます。しかし政府の痛みとはなんでしょう。政府は国民全体のものであり、財産なんです。結局国民全体が「1両」を損することになるだけなんですね。

 奉行が3両から1両を控訴処理費用として取り上げ、両者には2両損で解決したとしたら、幕府財政は安泰ですし、やたらめたら政府に助けてもらおうという国民にはならなかったでしょうね。改革とは全員が均等に痛みを分かち合うことではないのです。一部の不良無益な箇所が冷遇させられ、優良有望有益な部分が優遇されるものだからです。今の日本は果たして「改革」程度で蘇生できる段階にいるのでしょうか? どうやら革命までいかないとどうにもならない段階にきていると思うのですが。。。

止まり木?2002年03月10日 00時00分

「止まり木?」千葉青葉の森公園で撮影。
 千葉市青葉の森公園内の彫刻。

 作者にはこんな意図があったのでしょうか、鳥達の格好の止まり木になっていました。彫像達が広げた両手には鳩が乗っているのでした。なんだか微笑んでしまいました。

約束の地2002年03月30日 20時00分

『ここは世界主より、われらが民に与えられた土地だ。お前たちはここをすみやかにわれらに渡せ。さもないと皆殺しだぞ!』

 そうして、相手が譲渡し、建国された場所があります。反対に相手を皆殺しにして建国した場所もあります。前者は古事記にある日本、後者は聖書にあるイスラエルです。

 前者は、その後幾多の戦争の結果、領土を増やしたり減らしたりして、現在では固有の領土と主張している土地の一部を奪われたままです。また一部主権を放棄している場所も国土の南西地方に遍在しているのが現状です。もう戦争は懲り懲りと思っている民は話し合いで返してもらおうと、あれやこれや甘い囁きを相手にしていますが、完全になめられています。

 後者は、その後幾多の戦争の結果、一度は領土の全部を失い、世界中を流浪しましたが、不幸な事件を契機に、ようやく元の領土に住む権利を与えられたのでした。当然そこには、幾多の戦争の結果として別の民が『世界主』より与えられた権利に基づいて住んでいました。

 彼等は話し合いなど選択しなかったのです。そして再び、こういったのです。

『ここは世界主より、われらが民に与えられた土地だ。お前たちはここをすみやかにわれらに渡せ。さもないと皆殺しだぞ!』

 こうして、『約束の地』では今日もそれぞれの世界主を信じる人々が憎しみ殺しあって生きています。『一所懸命』に。。。